電柱広告について

電柱広告について

街を歩くと目に入る電柱広告はいつ頃から始まったのでしょうか?国立国会図書館のデータベースによると、1890年(明治23年)に東京電燈株式会社が警視庁より許可を受けたことからスタートしたそうです。ちなみに、明治から大正にかけた電柱広告利用の最大大手は「仁丹」だったそうです。

京都仁丹樂會HPより引用

当社でも横浜市内に数ヶ所、電柱広告を掲示させて頂いております。デザインや設置工事は横浜の広告代理店、旭広告社さんにご手配頂いております。当社が運営するコインパーキングまでの道順のご案内看板がほとんどですが、いくつかはこのような電柱広告を掲示して頂いております。時代はデジタル広告の世の中ですし、ターゲティング、インプレッション、フリークエンシー、など横文字の広告用語も色々とあるようですが「電柱広告」は雨にも負けず、風にも負けず、ザザンッ!と電柱と共に街に佇むその姿が好きです。

中区南仲通

最近、街を歩くとスマホの画面を見ながら歩く、いわゆる「歩きスマホ」の人をたくさん見かけます。私自身なるべく歩きスマホはしないように心がけていますが、ふとした時に気がついたらスマホの画面を見てしまう事もあります。せっかく外を歩いているのでなるべく上を向いて新しいビルや街の様子を見なくてはと思いつつ、ついつい手持ち無沙汰になりスマホを手に取ってしまうことがあるので、ハッとします。

1980年代の横浜駅西口と今とを比べると景色もだいぶ変わりました。西口駅前ロータリーも長い工事期間を終えてCIAL、JOINUS、ダイヤモンド地下街などがリニューアル、NEWomanもできてなんだかまったく別の駅になったような気分です。当時はCIALの1Fに「ステラおばさんのクッキー」の匂いが漂い、五番街では「シェイキーズ」が香り、相鉄口の交番前には今でも良く行く立ち食いそば「鈴一」。よく通ったビブレのHMV、ウォークマンでダビングしたマイケルジャクソンのカセットを聴いてた時代でした。

飲食店も変わりましたね。今は無き、南幸橋の帷子川沿いに並ぶ屋台のおでん屋の雰囲気が今は妙に懐かしく寒い冬に先輩に連れて行ってもらったことを思い出します。最近はコロナの影響で金曜の夜はコンビニで買ったおつまみや缶ビール・缶チューハイを片手に川沿いの歩道で静かに宴会をしている若者もいますが、昔だったら居酒屋でもっと大いに、どんちゃん騒ぎができていたことを思うと、ちょっと彼らが可哀想な気もします。

横浜西口 南幸

それぞれの街角で、それぞれの世代にとってノスタルジーを感じる風景があると思います。そしてその風景と共に世代を超えて人々が、おもいおもいの時間を過ごしてきたのだと考えると、人が街に出て過ごすことのできる時間がいかに大切かを再認識します。

1997年リリース DJ honda featuring Mos Def, “Travellin’ Man” の歌詞

“Memories don’t leave like people do. They always remember you. Whether things are good or bad, It’s just the memories.”

“思い出は人のようには去らない、あの頃のあなたを思いださせてくれる。それらが良い思い出であってもそうでなくてもみんな思い出だ。”

そんなフレーズが頭をよぎりました。

居酒屋で「あの頃はこうだったよな~、お前らの世代はまだまだ甘いな~」なんていう酔ったオジサンの絡み酒が面倒くさいと当時は思っていたけれど、今あの人達はどうしているんだろうか?SNSでは味わえない酒場の一期一会も懐かしく思うと同時に、今は私自身があの頃のオジサン世代に限りなく近づいているのだと思うとこれまた考え深いですねえ。

2021年4月5日 written by 山田 智也

横浜駅西口南幸 相鉄ムービル
TY

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