by 山田智也 2025年5月27日
先日、会社で所属している不動産関連団体の基調講演で山口真由さん(信州大学特任教授・法学博士)のお話を聞く機会がありました。
世界基準におけるコンプライアンスや、ポリティカル・コレクトネスに関する具体的な事例紹介があり、その中で紹介された「アンコンシャス・バイアス」(無意識の偏見)という言葉が、特に印象に残りました。
知らず知らずのうちに持っている思い込みや偏見が、日々の判断や人間関係、物の見方にどう影響しているか——その視点にハッとさせられました。
SNSやAIの進化によって、私たちのコミュニケーションのあり方は大きく変わりました。今では、瞬時に意見を発信でき、顔を合わせなくても会話が成立し、ビジネスにおいては契約までもがオンラインで完結する時代です。
一方で、「人と会って目を見て話す」「空気や間(ま)を感じ取る」「自分の言葉で語る」といった、直(じか)のやり取りの重要性も、以前にも増して見直されているように思います。
つまり、デジタルとアナログのどちらが正しいという話ではなく、これからの社会では両方の感覚を理解し、使い分ける柔軟さが求められるのではないでしょうか。
そして何より大事なのは、「自分の感覚は本当にフラットだろうか?」「今の考えは、どこかの思い込みに引っ張られていないだろうか?」と、自らの思考を問い直す姿勢です。そう考えたときに、自分自身のアンコンシャス・バイアスを探ってみたくなりました。ふと思い浮かんだのが、牛丼です。
みなさんは、牛丼を食べるとしたら、どのお店が好きですか?吉野家、すき家、松屋など、最近はどこもメニューが多彩で、注文方法も電子パネル、支払いもキャッシュレス。いろいろな進化を遂げています。私は長らく「吉牛派」でした。でも、それは本当に吉野家の牛丼の味自体が私の好みだったからでしょうか?
振り返ってみると、中学・高校時代の最寄り駅(内房線・木更津駅)には当時、吉野家だけで、すき家や松屋はありません。
寮生活で部活をしていた私は、駅に行くことも少なく(歩いて行ける距離ではなく、無断外出禁止だったので)、月に1度程度の帰省時のみ。普段は、いわゆる「寮メシ」しかないので、めったに食べられない牛丼は「ごちそう」でした。
友人と並んで特盛を汁だくで注文し、ライスのみをおかわりしたり、お土産で持ち帰り生卵と紅生姜とマヨネーズをかけて食べたり、また夜中に一人で寮を抜け出したときにも、吉野家で出会いとドラマがありました。(その節は、大変お世話になりました。)
そんな思い出が、「牛丼=吉牛」になり、自分の頭の中で(おそらく舌ではなく)イメージとして固まったのだと思います。
つまり、吉牛が一番好きだというのは、自分の思い出や体験によって時間をかけて形成されたアンコンシャス・バイアスだったわけです。いまでは、すき家も松屋にもよく行きますし、それぞれの店のメニューを楽しんで美味しく頂いております。
ただ、もし実際にそれぞれの店の牛丼の中身だけを同じ器にいれて、同時に味比べをしたら、はたして吉牛の味を言い当てることができるのか?いや、そんなことはないだろう、吉牛の味はわかるはずだ(と思いたい)。いつかやってみたいと思います。
そこで、自分のバイアスチェックを他の方法でやってみたいと思い、社内のメンバーと3人で、ビールのブラインド・テイスティングにチャレンジしました。
・キリン一番搾り
・サントリープレミアムモルツ
・サッポロ黒ラベル
・アサヒスーパードライ
・サントリー生ビール
・エビスビール

350ml缶のビールを6種類用意し、ラベルが見えないようにグラスに注ぎ、「これはどの銘柄か?」を当てながら、味の違いを比べてみました。
ビールが好きで、銘柄によって味の好みもはっきりしていた(はずの)私は、ちょっと自信がありました。通風持ちなので普段は量を控えていますが、味には敏感なつもりでした。
ところが、結果は惨敗。6種類中、当てられたのはエビスだけ。スーパードライと黒ラベルを取り違え、一番搾りはプレモルと勘違いし、プレモルだと思ったものは実はサントリー生でした。一口目はなんとなく違いが分かるような気がしても、二周目になると舌が慣れてしまい、すべてが同じ「ビール味」に感じました。
ちなみに、3人のうち1人は3種類も正解し、もう1人は全滅でした。つまり、「ビールはやっぱり〇〇だよな」と言っていた自分たちが、日頃いかに「自分は〇〇ビール派」だと勝手に思い込んでいたビールを、その味ではなく、缶のラベルや記憶の中でのイメージで、思い込んで選んでいたという可能性が高いということです。
経験とは別のところで、認識や判断に思考や趣向が無意識に左右されているということに気づかされ、けっこうショッキングな体験でした。
もちろんビールに罪はありません。偏見を持っていた私がいけないのです。(実験後のビールはすべて美味しく頂きました。そのあとの反省会では焼酎を頂きました。)
バイアスは確かに存在します。私たち人間同士の関係の中、そして社会には、より多くの思い込みや先入観が潜んでいるのかもしれません。
「最近の若い人は○○だ」、「あの人は△△だから、きっとこうだ」、こういった言葉の裏には、無意識のバイアスがかかっていることが多いのではないでしょうか。
でも、すこしだけ広い角度で、もう一度、自分に問い直すと、世界の見え方は変わってくるかもしれません。
考え方の違いを楽しむ、違いに驚く、違いから学ぶ。その姿勢さえあれば、趣味趣向、世代や立場、文化や価値観の違いですら、お互いの距離を縮めるきっかけになりえます。