by 山田智也 2025年10月28日 ≪Column vol. 21≫
静岡の街を訪れました。どこかいい店はないかと、「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんの立ち姿と流れる音楽をイメージし て歩き回ると、ふと目にとまったのは古い平屋建ての建物です。看板には「大衆酒場」の文字。その横の達筆な行書体は解 読できません。ふりがなの「たかの」の「の」がビールケースに隠れていました。のれんをくぐると、そこはまるで懐かし い古民家のようです。

ちょうどタイミングよく、年季の入ったカウンターに通してもらいました。 「つき出しです」と出されたのは、カツオを甘辛く煮付けたものに、ほうれん草のおひたしが添えられた一皿。カウンター にはおばんざいが大皿で並び、静岡名物のおでんからは湯気が立ちのぼっています。正面の壁には手書きのメニューがずら り。
刺し身にしようか、串焼きにしようか、それとも揚げ物にしようかと迷いましたが、大皿をじっくり見渡してから「鮎 の山椒煮」をお願いし、麦焼酎の水割りをオーダーしました。てっきりグラスに注がれてくるのかと思っていたら、一合徳 利にたっぷりの焼酎が、お水とアイスペールと共に登場。
なるほど、そういうことかと、自分でグラスをつくりはじめると、 隣に座るお母様が「ここは、ぜんぶセルフなのよ」と、湯呑みに入った焼酎にポットのお湯を自ら注ぎます。
「あなた、静 岡の人じゃないわね? あなたラッキーよ。このカウンター、なかなか座れないのよ。じゃあ、乾杯」とニッコリ。
カツオの煮付けは柔らかく、ほんのり甘く、ほうれん草は歯ごたえもありシャキシャキとよく合います。 さあ、鮎の登場です。山椒の実がたくさん入って、身はホロホロ。骨もやわらかく、頭から尻尾までを一瞬で完食。 続いてサザエと海つぶ(バイ貝)の煮付けも頂きました。サザエは柔らかすぎず硬すぎず、肝は少しジャリっとしましたが、 それも新鮮な証拠。ぶわっと磯の風味が口の中に広がります。
静岡といえばおでん。「静岡おでん」の具材として有名な黒はんぺんと白焼(しらやき)を注文。いずれも焼津の練り物屋 でつくられたものだそうです。黒はんぺんはイワシやアジ、サバなどの青魚のすり身を骨ごと石臼で丁寧につぶし、色は灰 色。片面の端がぷくっとふくらんだ半月の形状です。

白焼はスケトウダラなどの練り物で、長方形で白く、一部をこんがり 炙っています。出汁によく染みた味はやわらかく、もっちりとした食感。いわしの削り節などを細かくした「だし粉」と青 のりをかけていただきます。(ここまではただの食レポですね(笑))
このお店は大正12年(1923年)に創業したそうです。今年で102歳ですね。店主は3代目と4代目を中心にご家族で経営され ているようです。営業は午後4時半から10時まで。お支払いは現金のみ。私は5時過ぎに入りましたが、その後も次から次へ とお客さんが来店します。
わりとご年配の方が心地よさそうに談笑している姿が多く見受けられます。老若男女、お酒を飲 む人も、ウーロン茶でおでんを食べる人もいて、本当に居心地のいいお店です。営業時間中には電話が鳴り止みません。
「ごめんなさい、本日はもうお席がいっぱいなんです。ええ、申し訳ない、またどうぞよろしくお願いいたします。」
店員さんが毎度毎度、とても丁寧に応対されています。
店内は満席でガヤガヤしていても、なぜか心地の良い音量に感じる のは、きっと店員さんたちの仕事の姿勢、立ち振る舞い、表情、声のかけ方、そのすべてがこの店の空気に調和しているか らなのかもしれません。
ふと気になったのは御手洗です。(マニアックな話ですが)こういったお 店ではそこに、お店の”人柄”が表れたりもします。
御手洗がとっても清潔であることは間違いありません。そして期待を裏切 らず、壁に名言を見つけました。徳川家康公の御遺訓です。

東照公御遺訓
人の一生は重荷を負をひて遠き
道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる
時を思ひ出いだすべし 堪忍は無事
長久の基もとい いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知しりてまくる事をしらざれば
害其身みにいたる
おのれを責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり
幼い頃から、今川氏の人質としてこの駿河の土地で育ち、また晩年を駿府 城で過ごした家康公。臨済宗の禅僧である大原雪斎から受けた教えが家康 の人格形成に大きな影響を与えたといわれています。
「堪忍は無事長久の基」
「不自由を常と思へば不足なし」
「及ばざるは過ぎたるよりまされり」など、どの言葉もぐっときます。
この遺訓に関しては諸説あるようですが、家康公が大御所となり退任する ときに周りの人々が書き残した訓であるとされていますが、戦国時代とい う不確かな時代を生き抜いて国を治めた人の言葉は現代への戒めにも読み 取ることができます。
百年続くこのお店で、四百年前の言葉が静かに息づいているということは 考えれば、考えるほど、味わい深く感じるものがあります。たくさんの偉 業の影には、さまざまな計り知れない苦労があったであろうに、このシン プルな禅僧のような言葉が家康公の遺訓であるからこそ、伝わるものがあるように思います。
