by 山田智也 2026年1月26日 ≪Column vol. 24≫
小学生から地元の少年チームでサッカーを始め、中学からは寮生活。監督は全国高校サッカー出場経験者で日本体育大学卒業の筋金入りのサッカー指導者。今では夫婦共にお世話になっている恩師だが、当時はもう、怖いを通り越して恐ろしい人だった。二段ベットが8つ、1部屋に16人が寝起きする私たちの寮の同じ階にあった「舎監室」に先生は住んでいた。サッカー部員は皆その部屋の前を通るたびに、なにかこう、緊張感が高まりながら、素通りができない毎日だった。食事のときは丼飯のおかわりを強制的に食べさせられ、合宿になると牛乳1本がノルマとなり、食べ終わらないと練習に参加ができない。
真夏の暑い時期には熱射病防止で小学生がつけるような赤白帽を配られて「お前らにピッタリだ!」と言われガッハッハー!と大笑い。きちんと挨拶をしないとビンタは当たり前、寮で消灯後に起きて遊んでいたりすると、パッと部屋の明かりがついて、全員立たされてビンタ。野球部よりも練習も規律も厳しい先生だった。朝練をしてから授業を受け、放課後にまたサッカーをし、冬の時期は暗くなるのが早いからと先生は自家製の照明器具をつけて時間ギリギリまで練習は続いた。我々はへとへとで風呂に入り夜はサッカーノート(その日の練習や課題、感じたことなどを書いて、それに対してコメントを書いて返してくださった交換日記のようなもの)の提出。それだけサッカー漬けにしておきながら学校の成績が悪いと怒られる。
サッカー部で悪さをしたメンバーがいるとキャプテンに「今日、お前らにスパイクはいらない、ランニングシューズだけで来い。」と、連絡が回ってくる、そして「今日は連帯責任だ」ということで走る、ただただ走る、そして雨の日も、もちろん走る。ずぶ濡れになって走ったあとは土のグラウンドでスライディングの練習。練習試合でへんな負け方をしたら「お前ら寮まで走って帰ってこい」の一言。おかげさまで、地域の駅伝大会は出場選手の全員がサッカー部。体育の授業の長距離走のときも、陸上部よりサッカー部員の方が「走れ」た。
語り尽くせないほどの思い出があり、その当時はすべてがきつくて時に理不尽に感じていた毎日でしたが、やがてそのすべてが成長につながり、チームとしての結果もついてきました。今となっては思い出も含めてすべてが私たちの糧になりました。先生には本当に感謝しています。当時のサッカー部の仲間は一生の友達です。大人になってから何度も先生には食事やお酒をご馳走になりました。仕事まで紹介してもらったこともありました。
先生は当時まだ独身だったのに、まだ結婚前に私の妻を紹介したときに「おう、お前ら次の休みは空けておけ」と一言。ドライブで銚子までいわし料理を食べにつれて行ってくれたこともありました。とにかく情に熱く、不器用で破天荒だけれども人間味に溢れている先生。これからもまだまだお元気でいてくださいね。
「格差や分断の加速が大きな社会問題になりつつある。この時代だからこそ日本のラグビーの根底であるノーサイドスピリットを発信したい。」日本ラグビー協会は2035年ワールドカップの招致メッセージを「NO SIDE SPIRIT」としました。ラグビーというスポーツはイギリスが発祥でいわゆる寄宿学校のパブリックスクールで19世紀に盛んになり、勝敗よりも、規律や自制心、フェアプレーの精神が重んじられ、「試合が終われば、また同じ学友」という感覚がノーサイドの原点のひとつと言われています。ノーサイドとは試合終了を告げる言葉であり言葉の通り「もうサイドはない」つまり敵も味方もなし、勝敗はピッチに置いてくるという考え方です。
そして、ラグビーが他のスポーツとちょっと違うのは、試合後に敵味方が「ノーサイド」となり一緒に食事やお酒を飲む文化があるところです。大学に入りサッカーを続けましたが、人数が足りないからとラグビー部に誘われました。弱小のチームでしたが、その年はいいメンバーが揃い、コーチはアメリカの元代表選手で、練習は厳しくも、優しくてとても魅力的な人でした。練習に参加し、はじめての練習試合に出場したときに、ラグビーにはまってしまいました。主に10番のスタンドオフというポジションをプレーしましたが、当時のアメリカニューヨーク州の3部リーグからスタートし、あれよあれよとリーグ優勝にまで辿り着き、翌年は2部昇格を決める結果になりました。
優勝の祝福のビールは、スパイクにビールをいれて飲み干しました。(いま思い出すだけでもオェ!ってなります。)今と比べればスマホも何もない時代、学生時代のいい思い出の一つです。社会人となった後もラグビーが身近にありました。家族と共にシンガポールに住んでいた際も現地の日本の駐在員チームに参加し毎週汗を流しました。たまたま、当時のラグビー日本代表チームが、シンガポール代表チームと公式戦で戦うことになり、その前座試合にアマチュアの我々のチームが現地のチームと戦いました。結果は負けてしまいましたが熱い試合でした。試合後のノーサイドの交流は「アフターファンクション」と言われる飲み会です。内容はよく覚えてませんが(きっと、そのくらい飲んだのでしょう)2次会、3次会と続き、当時の日本代表の一部の選手まで合流し、灼熱のシンガポールで、夜中遅くまで延々と続いたのではなかろうか、という記憶はあります。
詳細はよく覚えていないけれど、記憶や心に残る体験だったということこそが、若かりし頃のいい思い出です。
日本は衆議院解散を受けて、27日に公示、2月8日に投開票です。日本だけでなく、世界もかつてないほど複雑で、不透明な時代です。こうした時に必要なことは、身の回りの「何かがおかしいのでは」と思ったことに対して目を瞑らずに、とことん議論してみることではないでしょうか。そしてその議論の相手はAIではなく、またSNSなどで不特定多数に対して問いかけたり、単に愚痴をこぼしたりするのではなく、心の通じる人たちと、とことん語り合う時間をつくることも大切なのかもしれません。時には白熱した議論となり、賛否が分かれて口論になることもあるかもしれません。
でも試合が終わればノーサイドです。そこがいいところではないでしょうか。

