by 山田智也 2026年4月26日 ≪Column vol. 27≫
「用もないのに連絡をくれる人は今どき珍しい。案外うれしいものだと新鮮だった。」と、日経新聞の「春秋」(2026.3.31)にありました。知人からの突然の電話があり、取り損ねて折り返すと特に用事はないが、ちょうど1年前に中華料理屋で会ったと日記に書いてあったので思いついて電話した、ということだったそう。そして話は、「徒然草」にもかかれた「さしたる事なくてひとのがり行は、よからぬことなり」に続きます。
用事もないのに人を尋ねたり、用事が済んだのに長居をするのはうっとうしい、人と向き合えば口数も多くなり、時間を無駄に過ごす。しかし、同じ心で向かい合っていたいと思う相手が、特に用事もないのに尋ねて来て、のどかに話すのは良い、単に久しぶりと手紙が来るのもうれしい、と、そのようなことを書いた古来の随筆家の考えは現代にも通づるとのこと。思わずハッとして、記事を切り取りました。それを、しばらく手帳に挟んでおり、そしてしばらく忘れていて、今開きました。
最近、ビジネスシーンでも「いつ電話してよいですか?」というメールが届くことがあります。これについては、わかる気もするし、まあ、わからないこともないです。相手への配慮が最優先、ということなのでしょうか、それとも電話に慣れ親しんでいた時代がもうはるか遠く昔のことになってしまったからなのでしょうか。
そんななかで、会社の電話に私宛に連絡がきて「今日、いまから行ってもいいですか?」なんて人が稀にいます。たまにお昼を一緒にすることもあります。「釣りバカ日誌」西田敏行さんの浜ちゃんよろしく、そんな気軽でおおらかな営業スタイルというものは、演じようとしてもなかなか難しい気がします。本当は少しくらい時間があっても「いやあ、さすがに今日の今日はちょっとすみません。」などと言い訳している自分が少し恥ずかしく思えます。(まあ、相手にもよりますが。)
最近はほぼ無いですが、私自身、昔は同業者(不動産屋)に飛び込み営業をしたこともあります。
「あのう、コインパーキングを運営しているのですが、、、、駐車場の管理でお困りのことはないですか?」
「あ、はいはい、コインパね、うちは結構だから資料だけ置いておいてくれる?」
その時のあしらい方(あしらわれ方)で相手の会社の対応というものは、意外と印象に残っています。そして、自分に置き換えると、ドキッとします。うちの会社ではそのようにしてはいけないな、と思いつつ、ついつい土地情報を仕入れたい、という営業さんが突然来社すると、だいたい居留守をしてしまいます。ただ、対応してくれた社員が、営業さんの学生時代の部活の写真と輝かしいプロフィールを書いた紙を名刺と共に見せてくれると、あとから、ちょっと会ってみようかという気にもなってしまうのが人間の性でしょうか。と思ったら、同じ会社から何人も、毎日のように違う人が「学生時代は野球部でした!」「私、箱根駅伝走りました!」などと来るものですから、なんなら一層のこと部活ごと同じ会社に就職してしまえば、面白い営業部隊ができるのではないか?などと思ってしまいます。
「はい、私はキャッチャーなのですが、今日はサードを連れてきました!」
「自分は5区を走ったのですが、明日は一つ上の学年で6区を走った先輩も一緒にきてもいいですか?」
もともとチームプレーが出来上がっているのであれば、信頼関係は間違いないし、チームビルディング研修が不要で即戦力の部隊として活躍するのではないでしょうか。部活から起業して監督が社長も夢じゃない!(勝手な妄想をしてスミマセン)私の長男も来年の春には彼らと同じように新社会人になるのかと思うと、なんだか複雑な気分ではあります。
本当は遊び盛りの学生時代に趣味のサークルやバイトや合コンに明け暮れるのではなく、卒業まで一貫して部活動をやりきった学生さんたちには企業が一目置くだけの価値があると思います。がんばれ新社会人!そしてがんばれ、来年の就活生 !今の世の中も、昔の世の中も、基本的には人が考えることは同じようなことなのでしょう。
残念ながら社会に出る前のフレッシュで「新=NEW」な感覚は、歳を重ねる度に薄まってしまうような気がします。
若いからこそ出来ること、若いうちだから飛び込めること、恥を知らずに出来ること、人の懐に入りお世話になること、飯を腹一杯奢ってもらうこと、小さな失敗、大きな失敗、色々とあると思います。考えてみると、私自身が若い頃も、何も考えずに、ただただ、思うがままに行動していたなあと思います。そんな時に、電話一本で家に泊めてくれたり、お金が無いときは働かせてくれたり、飯を食べさせてくれた大人たちがたくさんいました。困ったときには相談にのってくれて、でもそのほとんどが、ただ話を聞いてくれていただけのように思います。今になって思うことは、そういった方々の一人ひとりの大切な時間を自分にさいて下さったのかと思うと、ありがたさが身に染みます。そして、自分もそういう歳になってきたのならば、同じことをしてあげられるくらい、余裕のある人間にならねばいけないと思う、今日このごろです。
来月は次男坊が20歳になります。すこし遠回りをしながら、周りとはちょっと違う生き方をしています。そんな息子を陰ながら応援しつつ、でも実はその姿勢に学びながら、父ちゃんもすこしずつ、大人の階段を登ってゆきたいと思います。
