by 山田智也 2026年8月26日 ≪Column vol. 31≫
仕事をしていると、ふとした瞬間にお客様から学ぶことがあります。
入居者さんで米軍関係の仕事をしている米国籍の方がいます。
その方はとても良い入居者さんで建物で違反駐車があったり、修繕すべき不具合があるとプロフェッショナルな目線でいつもご指摘を下さり、そしてその応対はとても紳士的です。ときに写真や動画で管理会社である弊社に丁寧なメールで状況をご連絡をいただけます。そしてそのメールのやりとりをする際に、いつも本文の最後のにこの一文が示されています。お気に入りの名言なのでしょう。
“There is no limit to the good you can do if you don’t care who gets the credit.”
「誰の手柄になるかを気にしなければ、成し遂げられることに限界はない」
この言葉は米国の元国務長官、ジョージ・C・マーシャル(1880 – 1959)、戦時中は米陸軍参謀総長です。元陸軍参謀総長で、南西太平洋方面の最高司令官だったダグラス・マッカーサー(1880 – 1964)とは同い年です。
第二次世界大戦後は国務長官となり1947年、ハーバード大学でマーシャルはヨーロッパ復興支援構想を発表します。後の「マーシャル・プラン」です。マーシャル自身が1947年のハーバードでの演説で語った有名な一節があります。
“Our policy is directed not against any country or doctrine but against hunger, poverty, desperation and chaos.”「われわれの政策は、いかなる国や思想に対するものでもない。飢餓、貧困、絶望、そして混乱に対するものである。」
これが1953年のノーベル平和賞につながります。「第二次世界大戦で米陸軍を率いた職業軍人に、なぜノーベル平和賞なのか?」という批判もあったようです。それでも委員会がマーシャルを選んだ理由は、マーシャル・プランの復興の制度や各国との協力関係が、ノーベル賞が求めることを具体化することに貢献した、と説明しています。
一方で、マッカーサーは昭和20年、1945年9月2日に横浜の本牧沖に停泊していた米戦艦「ミズーリ」の艦上で日本降伏文章の調印式が行われた際に、このように言ったようです。
“It is my earnest hope and indeed the hope of all mankind that from this solemn occasion a better world shall emerge… Let us pray that peace be now restored to the world and that God will preserve it always.”
「この厳粛な機会から、より良い世界が生まれることを心から願う。それは全人類の願いでもある。世界に平和が戻り、その平和が永遠に続くことを祈ろう。」
その後、GHQ最高司令官を経て、朝鮮戦争・国連軍司令官となりましたが、1951年にトルーマン大統領から解任され、自らの軍人人生に終止符をつけます。
“Old soldiers never die; they just fade away. And like the old soldier of that ballad, I now close my military career and just fade away…”
「老兵は死ぬのではない。ただ、静かに人々の前から姿を消していくのだ。あの唄に登場する老兵のように、私もこれで軍人としての人生を終え、静かに退場する。」
一方、日本では、二人とほぼ同じ時代を生きた俳人、種田山頭火(1882-1940)がいました。
マーシャルとマッカーサーがともに1880年生まれ。
山頭火はそのわずか2年後の生まれです。身体が弱く、出征することはありませんでした。
生い立ちや、なぜ出家して僧侶になったのかはここでは触れませんが、山頭火は太平洋戦争の開戦を迎えることなく、前年の1940年10月に、58歳で亡くなっています。
山頭火は各地を歩き、行乞(ぎょうこつ)をしながら句を詠みました。
「分け入つても分け入つても青い山」
「まつすぐな道でさみしい」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
国家や世界が動くような場所とは、ずいぶん離れたところを歩いていた人です。
それでも晩年には、1937年に始まった日中戦争が、山頭火の歩く日常にも入ってきます。出征する兵士を見て
「ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く」
戦死者の遺骨が帰ってくる姿を見て
「いさましくもかなしくも白い函」と詠みました。
そして1938年の日記には
「戦争は必然の事象とは考へるけれど、何といつても戦争は嫌だと思ふ。」と記しています。
山頭火は、真珠湾攻撃も、日本の敗戦も、マッカーサーによる日本占領も、マーシャル・プランも知りません。そのすべてが始まる少し前にこの世を去りました。マーシャルは巨大な組織を動かして戦争を戦い、その後、ヨーロッパを復興させる道を考えました。
マッカーサーは自ら先頭に立ち、軍を率い、日本の降伏から復興への道筋を見届けました。
山頭火は、その少し前の日本を、一人歩いていました。同じ時代を生きても、歩む道はまったく違います。
国や軍隊を動かす人もいれば、名もなき人々の暮らしの中を歩き、その悲しみを十数文字の句に残す人もいる。
立っていた場所は違っても、同じ時代を生きていたということは事実です。
山頭火は誰のために、何のために句を書いていたのでしょうか。
ただの独り言ともとらえられれる言葉が、生き方そのものと重なり示したことで、後世に残ったものだと考えられます。
戦後81年の夏。
人も、社会も、そして国も、戦争の愚かさを解っていながらも、この世界から争いがなくならない現実を前に、山頭火ならば、どのような句を詠むのでしょうか。
